蛭ヶ岳(2025/2/8-9)

令和七年の厳冬、時二月、K隊長は、七人の隊員を率いた蛭ヶ岳登頂の是非を熟慮す。天気晴朗なれど風強し。風速十メートル以下なる予報を得、検討の末、遂に山行決意す。時に、強風の時刻及び雪により路途閉塞の虞(おそれ)を慮(おもんぱか)り、当初の表尾根路を棄て、大倉尾根路を採る。また、出立の刻を遅らせ、澁澤驛九時四十分に決行せんとす。

  • 日程: 2025年2月8日(土)-9日(日) 晴
  • 参加者:K.K.(リーダ)、S.A.、S.H.、T.K.、M.N.、Y.T.、Y.N.(記録)、M.S.(感想)  計8名
  • 行程:
    • 2月8日:新宿8:21=(快速急行小田原行)=9:30渋沢9:50=(バス)=10:05大倉10:15~10:46観音茶屋10:50~11:11見晴茶屋11:17~11:52駒止茶屋12:02~12:23堀山の家~12:39小休止12:44~13:19花立山荘(ランチ)13:48~13:59花立~14:08金冷シ~14:29塔ノ岳(尊仏山荘泊)
    • 2月9日:塔ノ岳6:45~7:13日高~7:29竜ヶ馬場~7:53丹沢山8:10~8:49不動ノ峰休憩所9:02~9:10不動ノ峰~9:22棚沢ノ頭~9:40鬼ヶ岩ノ頭~10:14蛭ヶ岳(ランチ)11:02~11:53小休止11:59~12:16原小屋平~12:35姫次12:45~13:08八丁坂ノ頭分岐~13:52小休止13:58~14:49林道合流点15:03~15:54東野バス停16:20=(バス)=16:55三ヶ木17:10=(バス)=17:45橋本

N會長、丹澤の地に通暁し、険峻なる岩場に鎖、雪に埋もる虞ありとして、二十米のロープを携うるを提言す。我また、厳冬の八ヶ岳赤岳でさえ登攀可能の装備を整え、加うるにピッケルを備えて万全を期す。

八日、九時四十分、澁澤驛に隊員悉(ことごと)く集い、九時五十分、バスに乗じて大倉口に至り、ここに登頂を始む。大倉尾根は人呼びて「馬鹿尾根」と称す。されど、我思うに、山路に茶店多く、また海を遠望すること能(あた)わん。されば、決して悪しき路にあらず。然るに、N隊員これを嫌い、「かくの如き尾根、再び登らじ」と嘆息す。

塔ノ岳に至る。ここにて宿泊とす。塔ノ岳の尊佛山荘、主人の接待篤く、快適の極みなり。

翌朝、東天(とうてん)黎明(れいめい)を拝し、天気快晴にして雲一片もなし。風また穏なり。隊員、登山靴に鉄爪(てっそう)を装し、丹澤山を目指す。丹澤山に至りて四顧(しこ)すれば、富士の巍巍(ぎぎ)たる雄姿、雲海の彼方に聳(そび)ゆ。されど、我感ず、其の山容、百名山の一たるも地味なること免れず。

次に不動ノ峰を越ゆ。路、険阻にして、一たび谷に降り、再び急登す。疲労著(いちじる)し。されど遂に峰に至る。この先にて會長の指摘せる危険地、鎖場を降下す。幸い雪少なく、無事に通過。

されば登攀を続け、遂に蛭ヶ岳の頂に立つ。ここに大いに歓喜す。何となれば、富士、南アルプス、丹澤の山々、相模湾の蒼き潮路、さらに遥かに大島、利島の影を望む。天地無瑕(てんちむか)、晴天の極みなり。丹澤の最高峰にして、視界を遮る木々もなく、これこそ百名山たるに相応しき峰なりと実感す。N隊員、常に山行の途において、少し苦しき事あらば、意気阻喪と聞く。然れども、今日は天気良く、眺望絶佳なるを以て、莞爾(かんじ)として歩みたり。

昼食を終え、下山を開始す。姫次に至る道、上下起伏多し。されど、ついに東野のバス停に至る。午後一便のバス、発車の三十分前なり。隊員、歓談しつつ麦酒を傾く。バスを一たび乗り継ぎ、橋本駅に至り、常のごとく飲宴を以て遠征を結ぶ。

ここにK隊長、隊員諸兄の労を謝す。我が身においては、装備過剰にして重量増し、疲労倍加せるを悔ゆ。これを反省し、次なる山行に備えんとす。